ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.188 [首長] 片庭 正雄 茨城県つくばみらい市長 「積極的に国創りに参加してください」

Vol.188  積極的に国創りに参加してください

茨城県つくばみらい市長 片庭 正雄

市長

茨城県つくばみらい市長 片庭 正雄

選挙区
茨城県つくばみらい市

 

市長の学生時代について教えて下さい。

私の学生時代は、一貫して何かに打ち込んできたというように特徴のあるものではありませんでした。実際、中学・高校・大学と違うスポーツをやっておりました。ただ特色があるとすれば、小学校から大学まですべての同窓会の会長をやっているということでしょうか。これは別段私が意図したわけではなく、自分で企画を立ち上げ人々をまとめる役割を担っていくうちに自然と会長をやっていることが多かったということです。元々姉と歳が離れており、一人っ子のようなものだったこともあって、色んな人と友だちになるのが好きでしたから、そういう意味でまとめ役が性に合っていたのでしょう。大学に通っていた頃もまとめ役になることが多かったですね。その性格が高じて、政治家の選挙運動のお手伝いもしていました。

市長になるまでにはどのような経緯があったのですか?

私は千葉工業大学を卒業して、建築材の製造会社に就職しました。工業大学出身なので、最初は研究・開発を担当していました。しかし、元々自分で何かをやってやるという意志が強く、生涯を通して勤め上げようとは考えていなかったので、どうせならいろいろなことを経験してやろうと思っていました。なので、入社して早々労働組合の中央執行委員を引き受けたり、社長に直訴して営業職に廻していただいたりしたこともあります。中でも営業では新製品を担いで日本全国を飛び回り、高度経済成長という追い風も受けて、その面白さにのめり込みました。結局「サラリーマンなんて3~4年でやめてやる」と思っていたのにも関わらず、気づけば10年も続けてしまいました。
政治の世界に踏み込んだきっかけは、ある時ふと、「このままでは自分で何かを成し遂げるという意志が果たせない」と思ったからです。そこで村長選に出馬しようと父親に相談したのですが、「東京へ勤めていたような人が相手にされるか」と諌められ、政治の世界をしっかり勉強しようと国会議員の秘書になりました。「私は将来総理大臣になるために来ました」と狩野議員事務所の門を叩いたところ、その心意気を買っていただき、公設秘書にしていただきました。その御蔭で様々な行事に参加することができ、政治への興味や国会議員になりたいという思いは日に日に強まっていきました。その後、会社を起こし、経営にも携わりました。自分で組織を起こし、マネジメントするという経験を積んでみたかったのです。
ある程度会社が大きくなった頃、「このままいっても総理大臣にはなれないな」と思い、47歳になった時に国会議員になろうと決意し、翌年茨城県から参議院選挙に立候補しました。その当時は「このまま国会議員になれば60歳になる頃には総理大臣になれるかな」と夢を描いていたこともありました。しかし、結果は落選でした。もちろん気落ちはしましたが、それ以上にその選挙はいろいろな気づきを与えてくれました。その中で一番大きな問題意識は、国会議員になるためには様々なハードルがあり、いくらいい考えがあってもある程度の地盤があっても当選できないというものです。「であれば地方から国を変えよう」と思いたち、村長選に立候補しました。私の選挙は、お金をかけずにマイク一本で勝負を挑むという方針です。つまり、良い政策を掲げ、それを人々に理解してもらうことで、政治の柵を越えて当選しようと考えたのです。しかし、私が立候補した地域はまだ古い体質が根付いており、なかなか思うようにはいきませんでした。
しかし、村が合併し、初代の市長選を戦い抜いたあとに、自分の考えを理解してくれる人が多くなっていることに気づいたのです。というのは、現職の市長と議長が立候補していたにも関わらず、次点に収まることができたのです。そのことが自信に変わり、コツコツと自分の考えを発信し続けた結果、市長選に当選することができました。ここに至るまで多くの苦労がありました。しかし、それらの苦労があったからこそ、多くの学びを得て、そしてそうした苦労を支えてくれた人たちがいたからこそ、今の私があるのだと思います。

政治の世界に入ろうと思ったそもそもの考えを教えてください。

私には日本社会の仕組みがとても不合理に見えたのです。不合理というのは「一生懸命努力した人が報われない」ことや「正しいことを言った人に奇異の目が向けられてしまう」ことがあるということです。そうした不合理を正すためには、まずリーダーがそうしたひずみを敏感に感じ取らなければなりません。私はそれらを正していくことで、社会に貢献していきたいと思いました。

つくばみらい市をどのような市にしたいですか?

私は子どもたちに誇れるまちを創りたいと考えています。長年携わってきた政策が功を奏し、つくばみらい市の人口増加率は茨城で最も多く、全国では4番目に入ります。しかし、そうなると人口が増加している地域とそうでない地域がどうしても出てきてしまいます。すると後者では子供が都市部に出て行ってしまうなど、労働力の低下が問題となります。結果、高齢化が進み、人口も逆に減少してしまうのです。こうした状況におかれると、市民の要望が「人口が増加している地域からの要望」と「人口が減少している地域からの要望」と二極化してきます。どちらか一方に偏重するのはよくありません。なので、両者に共通する「子ども」に目を向けることによって、バランスのとれた政治をしようと考えたのです。

政治を行うことの難しさや、葛藤はありますか?

自分が掲げた政策に対して、市民の方から「これはいい政策だ」と言っていただけた時はとても嬉しいです。逆に、「なんだその政策は」と言われた時には、「自分の説明が足りなかったのかな」「この政策はつくばみらい市には合わなかったのかな」と葛藤することがあります。しかし、やはり市民の方に理解していただいた時の喜びは、そうした葛藤を補ってあまりあるものがあります。

若者を巻き込むための取り組みなどはありますか?

私は常々市民の皆さんには市政に対して関心を抱いて欲しいという思いを持っています。特に若い人については、青年会議所の総会には必ず赴いて意見を聞くなど積極的に交流を深めています。また、Facebookでも情報を発信することで、若い世代に私達の取り組みがリーチするように取り組んでいます。

若者へのメッセージをお願い致します。

とにかく夢を持って欲しいと思います。私が数多くの苦労を乗り越えられたのは「市長になる」という目標を持って、そこに向かって努力することができたからです。努力なくして夢は成りませんが、確固たる目標がなければ努力するのは難しいものです。ぜひ若い人には夢を持って、そこにむかって努力する楽しさを知って欲しいですね。

(インタビュー:2014-1-15)
生年月日
昭和24年5月12日生まれ略 歴
千葉工業大学卒業
ロンシール工業株式会社
狩野明男衆・参議院議員秘書
つくば総合研究所 顧問
つくばみらい市少年野球チーム会長
つくばみらい市ソフトボールチーム代表
水海道第一高等学校PTA副会長
ワークホールディングス株式会社 代表取締役社長
現在つくばみらい市長

※プロフィールはインタビュー時のものです。
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